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西澤会長の 「ちょっと寄り道」 その6
今回は、ちょっとした意識の落とし穴について。
意外な意識の持ち方が遭難、事故の要因となることがあります。
具体的には、当該山行の目標をコース踏破やピークハントにしないということです。目標はあくまでもその日の山行を楽しみ安全に自宅まで戻り、毎日毎日の日常生活を継続することです。
とかくピークハント等を目標あるいは義務化してしまうと、必ず「無理」「無茶」「無謀」が生じます。その結果、事故、遭難のリスクが大幅に増加してしまいます。
冷静に、当日その地点まで山を楽しめたことに感謝しつつ、勇気をもって「引き返す」あるいは「計画の修正」を選択することです。ただし、これは言うは易し、行うは難しですが。
戦国時代の戦の時に一番難しいとされたのが「殿(しんがり)」の役目です。殿をつとめる武将は、自らの兵の死を賭けて部隊全体の安全な退却をする強力なリーダーシップが求められました。時にCLは鬼にならないとダメですね。
そもそも夢というものは、それを叶えるために一生懸命努力するための目標ではありますが、必ず叶うものではありません。「人」の「夢」は「儚(はかな)い」ものなのですから。
もう一つ違った観点から見ると、登頂や踏破を目標化してしまうと、本来の目的である山を楽しむという気持ちよりも、何が何でも登らねば、先に進まねばという使命感が先に立ってしまうことになります。ある意味単純に山の自然に感謝し、送り出してくれた家族に感謝し、同行した仲間に感謝する心のゆとりこそが大切なのではないでしょうか。
今回の蛇足は、お盆を前に(東京の方はごめんなさい)仏教的な話を。
お釈迦さまは、正覚成就の後最初に説かれたのは「苦」についてでした。お釈迦さまは、生は苦である、老は苦である、病は苦である、死は苦である、と説かれました。一番に生きることを苦として挙げています。何か切ない感じがしますね。この生、老、病、死が所謂四苦八苦の四苦です。
因みに、残りの四つは、「怨憎会苦」(怨憎するものに会うのは苦である)、「愛別離苦」(愛するものと別離するのは苦である)、「求不得苦」(求めて得ざるは苦である)、「五蘊盛苦」(人間の存在を構成するものすべて苦である)です。
何か「そんなんじゃやってられねえ」という厳しいご意見が出そうですので、今回の話はお釈迦に。